2023/01/07 10:13
同行させて頂き、この地にまつわる
さまざまなエピソードをお聞きして感動で‥
当時の義陽は11歳で家督を継いで、すでに20年に渡り戦国大名として戦っていた。相良家の勢力もピークに差し掛かっており、新しいビジョンとして三日月城を中心に風水都市のプランを練っていた頃である。
ますます好きになりました✨
拙すぎるけど
少しずつ紹介させてくださいね♡
幾年も時を越えて気が満ち溢れる三日月盆地。
風水都市、人吉。
祈りの地、球磨。
訪れるたびに、どこか晴れやかになる感覚。
それは人々の心と身体を浄化させ
氣枯れ(ケガレ)の状態から
再び氣が溢れる状態へ導いてくれてるから。
今は紅葉が最高に素晴らしかった🍁
奥に鎮座する六観音像が有名な新宮禅寺さんへ。
宗派は黄檗宗(おうばくしゅう)
新宮禅寺は日本最南端の黄檗宗寺院で
南九州において(熊本、宮崎、鹿児島)
黄檗宗が存在するのは、この人吉球磨地域のみ。
🕊🕊
↓ホームページより抜粋
もともと相良家に使えた新宮家の菩提寺だという。
室町時代の応永十二年(1405)建立。戦国時代の天正四年(1576)に火事で全焼し、その焼け跡から約三寸の金色の仏像がでてきた。その報告を聞いた相良家18代の義陽が金色仏像を護るべく新しく六観音像造立を指示したいう。当時の義陽は11歳で家督を継いで、すでに20年に渡り戦国大名として戦っていた。相良家の勢力もピークに差し掛かっており、新しいビジョンとして三日月城を中心に風水都市のプランを練っていた頃である。
城を護るため八卦に神社仏閣を配置する計画を考えた矢先、全焼した新宮寺から金色の仏像が出てきたとき、義陽は小躍りして喜んだに違いない。三日月城を挟んで天門(北西・青井阿蘇神社)―地門(南東)のライン上にある寺から金色の仏像が出てきたのだから。 義陽が指示して完成した六観音像は、三日月城から地門(南東)の位置を400年以上に渡り現在でも護り続けている。その後、寺は江戸初期に転派し黄檗宗になった。それは黄檗宗が、中国から直輸入された禅宗で、道教・陰陽五行説を多分に含んだ宗派であることと関係があるのかも知れない。黄檗宗の寺紋は、六芒星であり、陰と陽を表現したデザイン。現在、熊本県において、鹿児島、宮崎、沖縄においても、黄檗宗はこの人吉球磨地域にしか存在しない。日本最南端黄檗宗寺院でもある。
黄檗宗の思想の根底には陰陽思想があり
それを表現したのが、
正三角形を組み合わせた六芒星。
陰陽の組み合わせは
絶対的安定=魔除け・安定。
新宮禅寺さんには石碑とか
隠れ六芒星があるけん探してみてね😊
座禅会のイベントもされていて
「朝座禅は、朝食付き900円」
座禅は本堂、食事はお向かいのカフェ
球磨禅心生活さんにて♡