2023/01/07 09:28


「定年で引退だ!」って楽しみにしていた
福岡に帰ってきた瞬間から、
痴呆気味の祖母
(母の母)との同居が始まって。


父は祖母をお世話しながら、ケンカしたり
母と祖母の仲介役をしたり。
毎日実家で何かしらの事件があって
私もしょっちゅう帰ってました。


そんな祖母も入院後、4月に亡くなり、
父にはこれからは自分の人生を楽しく
謳歌してほしいなって思ってて。


実際は、テレビばかり観て
1日が過ぎてました。

少しずつ脳もやられてきて。
運転も心配になるほど。


故郷の沖縄に住んでもらうのが
1番いいのかなって
私は家族で話したりもして。


そんなのができるのも
私たちに余裕ができてからで、
もう少し待っとってね!って感じで
1つの目標でもあったのに‥




色んな方がアドバイスをくださり
それを自分の中で落とし込もうとしても
悲しくて苦しくてやっぱり後悔しかなくて。


普通にまた会えると思ってた。
あの日が最後とか夢にも思ってなかった。

亡くなる日の2日前、電話した時
大丈夫よって言われた声が変だったのに
なんで見過ごしたんだろう。

自分に都合がいいように
解釈してしまった。


すんごい当たり前のことやけど
死んじゃって肉体がなくなったら
美味しいもの食べさせたり
同じ景色を見て同じ時間を
共有することはできなくて。


してあげたいことはできんで
心で想うだけなんだよね😭



葬儀後は実家のローンやら何やらの
色んな手続きに追われて
一気に現実が押し寄せました。



父は兄弟が多くてみんな仲良く、
すぐ上の兄は、子ども3人と奥さんを残して
40代前半で、くも膜下出血で倒れたまま
30年以上植物状態でした。


それを見てたからか
「人に迷惑かけるくらいなら舌噛んだがマシ。
誰にも迷惑かけん」ってずっと言ってた父。

有言実行でした。

そして、色んな奇跡も起きて
ほんと誰にも迷惑かけなかった。すごい親父やったね。
って家族で言いました。



父が亡くなってやっと10日。
まだ10日。
もう10日。


時間が癒してくれるのかな。


海に行けば癒されるかと思って
いつも海に連れて行ってた。


父が「また行きたいね」っていつも言ってた
門司港へのドライブ。

本当に楽しかったんだろうな。
また連れて行くって約束してたのに。


ドライブの時は、運転してる私が
眠くならんように
いつもベラベラ横で話してくれてた。







この日に撮った写真を遺影にしました。
祖母もこの日の写真を遺影にしたんです。

2人とも良い顔してたからね。


「良い写真だね」
って色んな方に言われました。

「これ海外?」とか。

遺影は1人バージョンだったんだけど
遺影をじっくり見て話題になって
褒められるんだなって。
そんな事滅多にないよね。



亡き骸は時間が経つほどに
シワがなくなって、どんどん若返ってきて
赤ちゃんのような
仏様みたいに見えてきて。

不思議でした。